抑止

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死刑には抑止力があるのでしょうか?

刑法の意義の一つに抑止効果があります。
犯罪行為に対して刑罰を科すことによって、人が犯罪へと向かう意思を抑制するということです。これは刑法に限らず、罰則のある規定、例えばスポーツのルールにおける反則行為などにも当てはまります。

死刑がなくなれば凶悪犯罪が増える、と主張する人たちがいます。
刑罰の抑止効果自体は否定できません。犯罪に対して何の罰も与えられないような社会を望む人などいないでしょう。問題は、どの程度の罰ならば効果があるのか、ということです。

わが国も現在、厳罰化の傾向にありますが、あまりに重過ぎる罰は軽すぎる場合と同様に効果に疑問があります。
例えば、窃盗に対しても死刑が適用されるとしたらどうでしょう?
コンビニに強盗が入るとします。店内には店員が一人。強盗に入った時点で死刑が適用されます。それならば、店員を殺害して目撃者をなくした方が捕まる可能性が低くなります。殺人が加わっても量刑が変わらないならば、こちらの方が犯人にとって得になります。厳罰化すると犯罪が凶悪化するという説がありますが、それはこうした考え方に基づいています。
犯罪者がこのように合理的に行動するかどうかは疑問ですが、このような社会ではかえって生命の価値が軽視されることになると思います。そうした制度は公正さに欠けるものであり、法制度への敬意を失わせることにもなりかねません。

死刑には特別な抑止力があるのでしょうか?
死刑が存在することによって、殺人率は抑えられているのでしょうか?
他の刑罰に比して、死刑に強力な抑止力があるならば、それを無視することは出来ません。

現在のところ、死刑に明白な抑止効果があるという研究結果は出ていないようです。
アメリカでは、州によって死刑の有無が違います。比較統計では、死刑がある州に比べると、死刑がない州の方が殺人率が低かったといいます。
また、死刑を廃止した国で、死刑廃止後にも殺人率は増加せず、むしろ減少の傾向を示したという統計もあります。
ただ、殺人に限らず犯罪の原因は様々な要因が複雑に絡み合ったものであり、これらの統計が死刑に抑止効果がないことを示唆しているとしても、明白な立証がなされたと結論づけることも出来ません。死刑後に殺人が増加したとしても、減少したとしても、そこに因果関係があるのかどうかの判断は難しいでしょう。

殺人者の視点に立って考えてみましょう。
殺意が行動を引き起こすまでに高まった場合、死刑の存在によって思いとどまるということがあるでしょうか?
殺意の原因が強い怒りや憎しみといった激情にある場合、理性的な判断など期待できません。行動の結果がどんなものであれ、思いを遂げようとするでしょう。衝動的に犯行に及んだ時ならなおさらです。
殺意の原因が金銭などの何らかの利益にある場合はどうでしょう。そうした目的のために殺人を犯す人間が考えるのは、捕まったらどうなるかではなく、いかにして捕まらないかということではないでしょうか。ここでも、死刑の存在が特別なブレーキになるとは考えられません。
殺意の原因が快楽にある場合はどうでしょうか。残念ながら、殺人に悦びを見いだす人間も存在します。こうした快楽殺人者は殺人中毒とでもいうべき状態にあるのですから、死刑どころか、刑罰それ自体にも抑止効果があるのか疑問です。精神を深く病んだ者に対しては抑止効果を期待することはほとんど出来ません。

現在に至るまで、多くの犯罪者(あるいは犯罪者とされた人たち)が処刑されてきました。それでも、殺人は起こり続けています。
ヨーロッパで死刑が公開で行われていた時代、死刑の科される範囲が現在よりもっと広かった時代、窃盗犯に対しても死刑が科されていた時代の話です。そうしたお祭り騒ぎの公開処刑の場で、スリたちは見物人たちの財布を狙っていたといいます。今まさに自分と同じ生業の者が処刑されようとしている場で、です。

罪を犯すことを恐れることなく、罰からいかにして逃れるか、というのが犯罪者の基本的な考え方であるようです。そうした考え方をする人間に対しては抑止効果自体が疑わしくなってきます。