冤罪

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裁判制度は完璧なものではありません。人間が運営する以上、間違いはつきものです。
冤罪の可能性を否定することはできません。

捜査技術が現在ほど発達していない時代には、かなりの冤罪が発生していたと思われます。とにかく自白を得ることを重視し、拷問が捜査の手段として、公然と用いられていた時代もありました。やってもいない犯罪を自白する人間はいないというのが、自白重視の捜査の根拠です。暴力を匂わせるあるいは実際に行使することによって、「裁判で撤回すればいい」などの甘言によって、または長期の尋問によるなどして得られた自白には信用性がありません。しかし、いったんした供述を裁判で翻すのは難しく、かえって「反省していない」という心証を与える危険もあります。自白を重視する姿勢は現在でもあまり変わっていませんが、客観的な物証がない事件では冤罪が起こる可能性が常にあります。
DNA鑑定などによって刑の確定後に無実が証明されるケースも出ていますが、足利事件に見られるように技術が発展途中の段階では、鑑定が被告の不利に働くこともあります。科学的な鑑定の結果まで疑うのは専門家以外には難しいものです。
最近の事例にも見られるように、警察官や検察官の不正によっても冤罪が発生する可能性があります。そうした不正を働くのはごく少数であるとは思いますし、そう思いたいですが、そうした人物が一人いるだけでもその結果は重大なものになります。

冤罪の可能性は死刑が適用されるような事例だけのものでもありません。懲役刑などの場合でも、当然可能性があります。冤罪によって服役した時間は返ってはきませんし、社会的、精神的損害はかなりのものになります。しかし、少なくとも補償が可能です。死刑の場合は補償すら不可能です。